JAグループと広島県菓子工業組合のコラボプロジェクトです。
平安時代には、安芸の国は小豆の産地でした。
平安時代の安芸国では、麦を夏に収穫し、その後作として秋には大豆と小豆を収穫する二毛作が行われていました。鎌倉時代になると作付面積は増大し、江戸時代には、福島正則が慶長6年(1601年)に広島藩内の検地を行っています。
その検地帳には、佐伯郡や山県郡では畑の5割が大豆を、1割が小豆を生産されていたと記録されています。18世紀前半に執筆された広島藩地誌の「芸藩通志」にも、赤小豆が藩内全域で生産されていたと述べています。
このことから、広島藩は赤小豆の産地であることがわかります。広島の城下町では、小豆が手頃な贈答品としても使われ、赤飯や小豆粥として頻繁に食べられていたと考えられます。
地域資源を使ったお菓子づくり
広島県菓子工業組合では、平成25年(2013年)4月19日~5月12日に旧広島市民球場跡地や広島県立総合体育館で、「世界にとどけ!笑顔をむすぶお菓子のちから」をテーマに第26回全国菓子大博覧会を開催し、多くの皆様に来場いただきました。
この菓子博を機に、県内島しょ部のレモンを使った菓子の開発など、地域の旬が感じられる地域資源を使った菓子作りを進めご好評をいただきました。
先述したとおり、平安時代から生産され赤飯や小豆粥、和菓子として親しまれてきた広島県産の小豆を復活させることで、新たな地域資源が生まれ、県内の農業や食品産業、商業、観光業などの活性化に繋がればと願っています。
小豆の産地ひろしまの復活へ向けて
JA全農ひろしまやJAひろしま中央会、JA尾道市、JA三次が協力し合って、平成29年(2017年)の夏から、三次市と世羅町の農業法人で、約2haの小豆の生産が始まりました。その後、JA広島市も加わり、現在では、約6~7tが生産されています。
小豆生産は北海道が全国有数の産地であることからも、作業の機械化による生産性の向上が必須の課題となります。広島県内は一区画当たりの面積が狭く、水田からの転作で水はけのよくない農地が少なくないこと、新たに小豆用の設備が必要なことなどから、小豆生産の拡大は容易ではありませんが、この活動を地道に続けていき、小豆の産地化に向けた動きを加速させていきたいと思っています。
広島愛の詰まった、新しい広島スイーツを開発しました。